住友家は、もともと武士の出であったが、家祖政友(1585~1652)が京都において富士屋という菜種商をひらき、また書籍などを商い、商人となりました。
政友は二人の子があり、長男・政以は京都の家をつがせ、長女には銅商であり、南蛮吹きの技術を知っていた義兄の蘇我理右衛門の子、理兵衛を婿にし、友以(1607~62)と名のらせた。
この友以は、1630年(寛永七)大阪にうつり泉屋という銅商を営んだ。
その後京都の住友本家がふるわなくなり、分家の泉屋に吸収されたので、友以が住友家の業祖といえます。
住友家は、もともと武士の出であったが、家祖政友(1585~1652)が京都において富士屋という菜種商をひらき、また書籍などを商い、商人となりました。
政友は二人の子があり、長男・政以は京都の家をつがせ、長女には銅商であり、南蛮吹きの技術を知っていた義兄の蘇我理右衛門の子、理兵衛を婿にし、友以(1607~62)と名のらせた。
この友以は、1630年(寛永七)大阪にうつり泉屋という銅商を営んだ。
その後京都の住友本家がふるわなくなり、分家の泉屋に吸収されたので、友以が住友家の業祖といえます。